やさしい言葉の“裏側”にあるモヤモヤ
発達支援やインクルーシブ教育の現場で、よく聞くフレーズがあります。
それが、「みんなちがって、みんないい」という言葉。
とてもやさしく、包み込むようなこの言葉。
でも、あるときふと、こんな疑問が浮かびました。
「この言葉が、“違いを本当に理解すること”につながっているだろうか?」
「違ってていい」は、「違いがわかる」ことが前提
「ちがっていい」と言うのは簡単です。
でも、それは**“その違いが何かを理解している”という前提**がないと、ただのきれいごとになってしまうことがあります。
たとえば――
- コミュニケーションが一方通行になってしまう子
- こだわりが強く、急な変更が苦手な子
- 集団の中で感覚が過敏になってしまう子
こうした「特性」をただ「変わってるね」で片付けてしまえば、支援にはつながりません。
「いい」と認めるには、まず「知る」ことから
本当に違いを尊重するには、具体的に“どんな特性”があって、“どんな支援”があれば安心できるのかを知ることが大切です。
それはつまり――
- 相手の“困り感”に気づくこと
- 自分との違いを受け入れる準備をすること
ここがないまま「みんないい」と言ってしまうと、**“共にいるけれど、孤立している”**という状態を生みかねません。
「ちがっていい」はゴールではなくスタートライン
私たち支援者や保護者、教育者にできることは、
「みんなちがっていい」という言葉に、行動をともなわせること。
違いを知り、理解し、それに合わせた関わりを重ねていく――
それこそが、**本当の意味での“ちがっていい”**を実現する道だと思っています。